俺たちの居場所
チョッパーが、笑っている。
医術に詳しい人間でなければついていけないような、小難しい話をしながら。
ところどころ「コノヤロー」だの「嬉しくねーぞ」だのと言いながらも。
自分の得意分野について、それは楽しそうに話しながら・・・笑っている。
・・・それは少なくとも、ゴーイングメリー号では見ることの出来ない光景。
「何難しい顔してんのよ、ゾロ。チョッパーがどうかした?」
いつのまにか側に来ていたナミの言葉で、ゾロは初めて自分がチョッパーを凝視していたことに気づいたのだった。
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ここは灼熱の砂漠の王国・アラバスタ。
言わば成り行きで王女ビビを護衛しながらここへ来たゾロたちは、図らずもアラバスタで進行しつつあった陰謀を、止める事が出来た。ギリギリのところで。
その一番の功労者である、ルフィ海賊団の船長・ルフィだが、今はベッドの住人になっている。
と言っても、ベッドから降りる事が出来ないくらいの重傷者と言うわけではない。
確かに負った怪我は酷かったが、どちらかと言うと今まで無理をしていた彼の体が休息を求めているだけ・・・と言うのが、チョッパーこと、我らが船医殿の下した診断であった。
寝たいだけ寝させておいてやって。そのうち放っておいても目が覚めるから。
極めて分かり易い船医殿の説明に、安堵に胸をなで下ろしたのが昨日のこと。
そして遺された・・・もとい! 残されたゾロたちはと言えば、ビビと国王自らのたっての願いもあり、王宮にてVIP待遇で滞在しているのだ。
今までの疲れを癒すためと、次の出航の準備のために。
サンジやウソップは自分たちの得意分野の関係もあって、傷が癒えてから街中へ補給物資を買い付けに出掛けたようだったが、誰もゾロには手伝いを請いはしなかった。
何せ戦闘中にも発揮された、筋金入りの方向音痴である(笑)。迷子にならないだろうかと気をもんでいるよりは、自分たちが動いた方が早いに違いない。
そう言うわけで、仲間たちに置いてけぼりを食らったゾロではあったが、別に悲嘆も怒りもしない。今自分が出来ることは、きっと他にあるのだから。
その「自分の出来ること」の1つは、先ほどまで中庭でこっそりとしていた自主特訓であり。
もう1つは、今こうしているように、眠り続けるルフィの様子を見に来ることだったのだが・・・。
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見慣れない1人の青年が、チョッパーと話し込んでいる。
楽しそうに。尊敬の視線と共に。
途切れ途切れに聞こえてくる会話から察するに、どうやら彼は新米医師のようで。
ゆくゆくは父親の後を継いで宮廷医師になるらしく、しきりにチョッパーへ質問をぶつけては意見を仰いでいるのが見て取れた。
対するチョッパーも、それは嬉しそうに、控えめではあるが誇らしげに医術について話していて。
ゴーイングメリー号では見掛けたことのない種類の笑顔を見たせいで、ゾロは知らず知らずのうちに傍らのルフィより、チョッパーへと視線を奪われていたらしい。
自覚はしていなかったが、相当驚いていたのだろう。いつもなら他人の気配を敏感に察しているはずなのに、味方とは言え、ナミが近くに来ていることに気づいていなかったのだから。
「珍しいわねえ、あんたのそういう顔。はは〜ん、さては、弟を他人に取られて悔しいの? 『オニイサマ』♪」
「・・・アホか☆」
面白いオモチャを見つけた、とばかりに話し掛けてくるナミに、ゾロはあくまでそっけない。
どうやらナミは、自分たち以外に気が合う人間を見つけたチョッパーに、ゾロが可愛らしいヤキモチを焼いているのでは? と解釈したらしい。
そういう気持ちがないとは、決して言いきれないだろう。だが、今ゾロの心を占めている想いは、実は別のものであった。
「じゃあ何よ? 何でそんなムズカシイ顔で睨んでるわけ?」
ナミはそう聞いたが、まともな返事が戻ってくることを期待してのことではない。
それだけに───ゾロの口から発せられた言葉に、自分が呆気に取られるとは思っても見なかったろう。
「・・・。ここでは誰も、チョッパーを化け物扱いしねえって、そう思っただけだ。客人として、国を救った英雄として、そして立派な医師として扱われてるな、ってよ」
「え?」
「ここが砂漠の国じゃなかったら。あいつが冬島育ちでなかったら。
・・・きっとチョッパーにとって、住み心地のいい場所になっていたろうにな・・・」
そう。
『滞在場所』ではなく、『住み心地のいい場所』。
ナミは思わずゾロに詰め寄りそうになり、直前で何とか思いとどまる。
それでも、強い口調になるのは否めなくって。
「へ、変なこと言わないでよねえ。チョッパーの故郷はドラム王国でドクトリーヌのところだし、居場所はゴーイングメリー号に決まってるでしょ? ・・・それともあんたまさか、チョッパーを追い出したいわけ?」
「誰がンなこと言ったよ?」
後ろ髪をバリバリとかきながら、ゾロは気まずそうな顔をしている。
「ただ・・・あいつがずっとここにいたい、ってんなら別に止めねえだろうな、と思っただけだ。
もっとも、言わねえだろうけどな、あいつは。誰かに指摘されでもしねえ限りは、そんな可能性に気づきもしねえだろう」
珍しく先の先まで見越したセリフを口にした後。
ボソリと「俺が言ってたなんて、言うんじゃねえぞ」と言うことで、ゾロはナミに釘を刺したのだった。
「い、言うわけないでしょ、あたしだって場はわきまえてるってばっ!」
約束を交わした2人は、ほとんど同時にチョッパーの方へと視線を移した。
そこではまだゾロにも、さしものナミにも理解不可能な、高度医術に関する会話が続いていた・・・。
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何となく疎外感を覚えたゾロは、結局中庭で特訓を再開する。
集中力の訓練だから、とりあえずチョッパーのことは意識の外へと追いやって。
そしてそれ相応の成果を実感した頃、喉を潤す酒でもないかと王宮内に戻ったのだが・・・。
<・・・・・? 何やってるんだ? チョッパーの奴>
建物内に足を踏み入れたばかりの、その場所から見える日陰で。
おそらくは休憩中のチョッパーが起こしているリアクションに、ゾロは眉をひそめずにはいられなかった。
そーーーーーっ・・・。
かくん!
じたばたじたばたっ!
ふぃーーーっ。
立ったまま自分の肩口から背中へ、めいっぱい腕を伸ばしているのが『そーーーーーっ・・・』で。
つっぱらかした足がこらえきれずに、もんどりうって倒れかけた時が『かくん!』。
『じたばたじたばたっ!』と手足をばたつかせることで、何とかバランスを取り直し。
『ふぃーーーっ』と冷や汗を拭っている───と言う案配だ。
・・・ゾロが見掛けてから、それらのおマヌケな動作は少なくとも、3回は続けられているようなのだが・・・。
見れば、チョッパーは背中に伸ばした方の手に櫛を持っている。
足元に置かれた洗面器には、どうやら水に浸されたタオルが入っていて。
ゾロにもさっきまでのチョッパーの行動が、どうやら自分のご自慢の毛並みを手入れしている最中のものだと、やっと判断する事が出来た。
そして、背中の毛並みを整えようとするものの、手が届かずに、あわや転びかけているのだ、と言うことも。
<あんな短い櫛よりは、柄つきのブラシでも借りた方が良かったんじゃねえか?>
そう、一旦は思ったゾロであったが、逆にチョッパーが不憫な気もする。
それで、未だ孤軍奮戦しているチョッパーの後ろへゆっくりと歩み寄り、そっと櫛を取り上げた。
「え? ・・・あ、ゾロ?」
「貸してみろよ。背中の毛並みを梳けばいいのか?」
「う、うん、そうだけど・・・」
そう。
便利な道具を貸してやるよりは、こうやって間近でじかに手伝ってやる方が、ずっといいに決まっているのだから。
チョッパーはいきなりの申し出に面食らっていたが、ゾロの今現在のラフな服装に、職業意識を刺激されたみたいで。
「・・・包帯、勝手にほどいたのか?」
「あ? あ、まあ、特訓するのにはちょっと邪魔だからよ」
「ダメだろ? 怪我の治りが遅くなるぞ。自然治癒に頼ってばっかだと、今に体が言うことを聞かなくなっちゃうぞ。そんなの、ゾロだってイヤだろ?」
「分かった分かった。こいつのブラッシングが終わったら、しばらくはおとなしくしてるって」
そう言いつつ櫛を動かすゾロに、チョッパーはすっかり毒気を抜かれた格好である。
「そ、そういう事でゴマすったって、ダメなんだぞ。また包帯は巻き直すからなっ。特訓だって、まだOKしないからなっ」
「ゴマすりのつもりはねえよ。・・・へえ、さすがに雪国育ちだけあって、かなり固くてごわごわした毛並みなんだな。ふわふわのカルーの羽根とは、また違うってことか」
「・・・カルーの羽根も、こうやってブラッシングしてやったのか?」
「いや、一緒に昼寝したことがあったから、感触覚えてただけだ。大体、あいつはビビが世話してやってただろ。アレって端から見てる分には結構楽しそうに見えたけどよ・・・ははっ、実際実行してみても面白いもんだな」
「ばっ・・・馬鹿野郎っ! お、俺はちっとも面白くねえよ、コノヤローが♪」
口ではそう言いつつも、しっかりゾロへと背中ごと寄りかかってくる辺り、チョッパーもそれなりに心地いいらしい。
そんな素直じゃない船医に苦笑を禁じ得なかったゾロだったが、ふと手に持った櫛へと視線を落とす。
それはかなり細工の細かい、高級品と思しき櫛である。少なくとも、チョッパーが故郷から持ち込んだものとは思えないのだが・・・。
「チョッパー、この櫛は・・・?」
「うん、王宮の人が貸してくれたんだ。俺の毛皮が暑そうだから、濡れタオルで体を拭いたら少しは気持ちいいんじゃないかって、そう教えてくれた時に」
「・・・いい奴等だな、ここにいる連中は」
いくら雨が降ったばかりとは言え、砂漠では水は貴重品である。
あちこちを旅して歩いていた時、ゾロは噂で聞いたことがある。とある水不足の国では、体をぬぐうのにコップ1杯の水しか貰えないところもあるのだそうだ。
VIP待遇だからでもあるだろうが、王宮の人間は見た目はペットとしか見えないチョッパーにも、敬意と親愛の情を抱いているらしい。だから洗面器1杯の水とタオル、そして櫛まですすんで用意してくれたのだろう。
全く・・・。
本当にここが、砂漠の国じゃないのならな・・・。
再び浮かんできた考えに気を取られていたゾロは、だから。
チョッパーが消え入りそうな小さな声で言った言葉を、もう少しで聞き逃すところだった。
「けど・・・けどさゾロ・・・俺はまたゴーイングメリー号に乗りたいぞ。ルフィやゾロたちと、また旅を続けたいぞ? そりゃあ、王宮の人たちはとっても親切だし、居心地もとってもいいけどさ・・・」
暑いはずの空気に、ひやりとしたものを感じずにはいられない。
───それは。
先ほどの会話を聞いていないと、そう、ゾロとナミとの間だけでかわされた話を聞いていないと、決して出てこないはずのセリフ・・・。
「断っておくけど、ナミは喋ってないからな。あいつを怒るなよ?」
「・・・だったら何で・・・」
「俺は元々はトナカイだぞ。嗅覚もだけど、聴覚も人間の数倍あるんだ。だから、さっきゾロがナミに言ってたこと、全部聞こえてたんだ」
「聖徳太子かお前は・・・☆」
「しょうとく・・・なんだって?」
「何でもねえよ」
とある偉人は、一度に7人の人間の意見を聞き分ける事が出来たと言うが・・・。
ともあれ。
珍しくゾロは少々ながら狼狽した挙げ句、溜め息を吐くと言う態度を示した。
「そうか、聞こえていたのか・・・悪かったな、変なこと言ってよ。気悪くしたんじゃねえか?」
「何で? 俺嬉しかったぞ。ゾロが俺のことすごく考えてくれてるんだ、って分かったから」
チョッパーのその言葉には嘘はなく。
振り向きざまゾロの顔を覗き込んだ表情には、満面の笑みが浮かんでいた。
「でもさゾロ。俺さ、もしここがドラムと同じ冬島でも、きっとみんなと一緒にゴーイングメリー号に戻ったと思うぞ?」
「・・・そうか」
「ホントだってば。・・・ほら、俺が始めてゴーイングメリー号に乗った時、ナミが言ってただろ? 『あんたたちチョッパーを一体何者のつもりで勧誘してたの?』って。あの時からずーーっと、そう思っているんだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・はあ?」
ゾロの眉間に皺が寄る。
チョッパーがゴーイングメリー号の乗員になったのは、ルフィの強引かつ強烈な勧誘によるものが大きかったはずだ。もちろん、本人が海賊になりたいと願っていたこともある。
しかし・・・あの時ナミに対するルフィたちの返事は、とてもチョッパーを喜ばせるようなものではなかった、と記憶しているのだが・・・。
「をいチョッパー・・・☆ 確かあの時、ルフィは『七段変形面白トナカイ』なんてふざけたこと抜かしてたし、クソコックに至っては『非常食』とか言ってなかったか・・・?」
「へへっ、さすがに非常食にはなりたくないけどさあ」
帽子を目深に被り、赤らんだ顔を隠そうとしているチョッパーだが、どう見ても嬉しそうなその仕草は誤魔化しようがない。
そうして。
理解不可能なゾロの目の前で、小さな船医は一言一言を大切にかみ締めるように口にした。
「言われた時はピンと来なかったんだけど・・・良く考えたらルフィが俺を誘ったのはさ、俺がワポルの仲間を一緒にやっつけたからでも、俺が医者だからでもなかった、ってことだろ? 面白そうな奴だから、って誘ってくれたんだよな?」
「あ」
「ここの国の人たちも親切だぞ。親切だけど・・・それは俺がアラバスタを救う手伝いをしたからだし、みんなの怪我を治せる医者だからじゃないかな。
もちろんそれも嬉しいよ。でもどっちが嬉しかったか、って聞かれたら、断然ルフィに誘われた時だって答えるぞ! 『七段変形面白トナカイ』として誘われた時だって!」
必要だったから、ではなく、面白そうだったから。
医者としてではなく。
ましてや戦士としてでもなく。
ヒトヒトの実を食ったトナカイとして、仲間に誘われた。
ずっとコンプレックスを感じていたことに意味を見出してくれた船長の言葉に、どんなにかチョッパーは救われたことだろう。
・・・当のルフィは多分、そんなことに思い至りもしないことぐらい、分かりきっているが。
「それにっ。俺の居場所はゴーイングメリー号だ、ってナミが言ってくれたしっ。ゾロも・・・その、俺がずっといたい、ってんなら別に止めねえんだろっ? 俺、ゾロたちとずっと一緒にいたいぞっ!」
自分の表現しうる言葉をフルに使って、一生懸命自らの気持ちを訴えるチョッパー。
だからゾロは、くしゃくしゃと彼の毛並みを撫でながら告げた。
「ああ、あの言葉な。少し訂正」
「え?」
「『別に止めねえ』ってんじゃねえ。たとえお前が嫌だーって喚いても、ずっと一緒だぜ、チョッパー」
「・・・・・おうっ!」
−−−−−−−−−−−
そんなやり取りがあったこととはつゆ知らず。
王宮の人間たちはそれからしばらくして、風通しがいい日蔭にて客人2人の、大口開けた高いびき姿を見掛けることになり、微笑ましさを禁じ得ないのだった。
壁にもたれかかって眠る剣士の膝に、ちょこんと座っているトナカイの寝顔。
それはなによりの、平和の象徴だろう。
「ず・・・と・・・いっ・・・だからな・・・チョ・・・パ」
「馬鹿やろ・・・嬉しく・・・ね・・・コノヤロー・・・」
今この瞬間も。
ここは『俺たち』の、かけがえのない居場所。
《終》
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